西国三十三所の旅 初日(JR米原駅〜多賀大社)

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初日の朝

2021年8月9日、
待ちに待った観音巡りと呼ばれる
西国三十三所札所を参拝する旅の初日となった!

この時期は台風接近に伴い、
雨、風が強く
心地よいサイクリングは
できそうになかった。

しかし、
観音様に会える期待と、
グラベルロード
思いっきり走り回せるうれしさで、
オムの心のエンジンは
大きくうなっていたのだ!

実はグラベルロード
長距離走行をするのは初めてである。
移動手段としてそれを使う理由は
上記のリンクを参照してね。

初日スケジュール

初日のスケジュールは以下の通りである。

JR山科駅→JR米原駅(電車約50分)→多賀大社(12.5km)→長命寺温泉(30km)→JR近江八幡駅 ホテル(9km)

近江八幡へ行く途中、
滋賀県で格式の高い神社(多賀大社)
参拝する計画も入れた!

神様に対して、
旅に対する意気込みを感謝の念と共に
伝えることで、より一層、
精進へと繋がると思うのである。

さぁ輪行袋を担いで、
いざ、出陣じゃー!ではなく、出発だ!

家〜JR山科駅

家からは最寄駅まで徒歩約5分なので、
約10kg以上の輪行袋(写真1)を担いでも、
頑張れば歩ける距離であった。

自転車の入った輪行袋

図1)自転車が入った輪行袋

実は電車の音や踏切音が多少うるさくても、
駅近の物件を選んだのは、
最寄駅まで輪行袋を持ち歩けることも
一つの理由であった!

オムはトコトコと最寄駅まで歩き、
米原方面の新快速に乗り込んだ。

JR米原駅 到着

JR山科駅から50分程でJR米原駅に到着した。
今回の巡礼は友人「カマ」と
同行する計画をしていたので、
カマと米原駅で合流した。

以下、オムとカマを合わせて、
オムカマと呼んでいく。

カマとは?

関東で一人暮らしをしていて、
普段からミニベロという
車輪の小さい自転車を乗り回している男だ。
火の神様を信仰し、幼い頃から神仏に対して、
馴染みがある為、今回の巡礼はオム以上に
「情熱の灯火」と「サイクル魂」を
燃やしているのだ。

自転車を組み立てるオムカマ

輪行袋から自転車を出し、組み立て始めた。
オムの自転車はグラベルロードといって、
砂利道でも走れる太いタイヤを特徴とする
スポーツバイクである。(図2

オムの愛車

図2)オムの愛車


組み立てが終わったオムは
缶コーヒーを腰に手を回して飲み、
これからの旅に向けて、
気合いを入れた!

天気に異変が?!

少し雨が降っているようであった。

しかし、大丈夫!
モンベル製のドライテックレインウェアを
用意してあるので、防水もバッチリだ。

カッパを着て、それでは、出発だ!
と思った瞬間であった。
何やら大きな音がし始めたのだ!

オムカマ「なんや?!なんや?!」と思い、
外をみると、、、

天から大粒の雨がザァザァと
降り注いだのであった!

これは観音様の偉大なる慈悲の現れなのであろうか?
ありがたい気持ちで手を合わせていたオムであった。

一方、自転車の乗り慣れているカマは
この雨だと、
走行中に滑ってしまう危険もあると判断し、
しばらく待機した。

オムカマの考えていることは違えど、
オムは雨が弱まるまで、
観音様を想像してお祈りをしていた。

しばらくして、雨も弱まり、
気を取り直して、出発した。

しかし、
走り出して15分くらいであろうか、
また大雨がふりだし、
カマのとっさの判断で、
木の下に避難した。

昔の人も巡礼をする際は
こうやって木の下で雨宿りをしていたのであろう。
いつの時代も
人間が考えることは同じなんだろうと
考えながら雨が弱まるのを待った。

しばらくして、雨が止んだので、
再スタートをした。
コンビニで休憩をはさみながら、
2時間後に多賀大社に着いた。

予定では1時間程度だったが、
大幅に遅れてしまった。

多賀大社

多賀大社 鳥居

図3)多賀大社 鳥居


御祭神は下記の神様である。
伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)
伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)

日本の国土を固めて、
天照大神を含めて、
たくさんの神様(八百万の神々)を産んだ
大変ありがたい神様だと言われている。

その神様を拝むため、
オムカマは本殿へと向かった。

太閤橋

本殿に向かう途中、
何やら盛り上がった形状をしたモノが見えた。
よーく見ると、橋であったが、
驚くべきことはその傾斜であった!(図4)

太閤橋

図4)太閤橋

およそ30度以上の角度がついていたので、
手を下に付きながら渡らないと
バランスを崩してしまう。

さらに雨で濡れていたので、
足元が滑ってしまうと大変だ。
こうなってしまってはご利益をもらうどころか、
「たんこぶ」をもらってしまいかねない😥

そこでオムカマはコレは神様からの試練と
言い聞かせて、
この橋を渡り切ったのであった。

この橋は太閤橋(たいこうばし)と呼ばれ、
太閤秀吉の名に由来があると言われている。

本殿

多賀大社 本殿

図5)多賀大社 本殿


神様が祀られている本殿に到着したオムカマは
お祈りを捧げた。

日本の国土を作られ、その地に生かされている
ということは想像しながら、
それに対する感謝の念を込めたのであった。

お祈りをすることで、
曇り空のようなオムの心のモヤモヤは
天照大神を産んだ神様によって、
晴らされたのであった。

一休庵多賀店

すでに時刻は2時頃であった。
参拝を終えた後の昼食は
名物の「多賀ソバ」と決めていたので、
オムカマは「一休庵」というお店に
入っていった。

オススメの多賀そばセットを頼んだ。
おソバの上に乗っている
四角形で黄色と緑のモノは
生麩(ナマフ)を素材としているようで、
とてもモチモチした食感で美味しかったのだ。
黄色は粟麩、緑はヨモギ麩であった。

多賀そばセット

図6)多賀そばセット


いなり寿司は
甘味と酸味が絶妙なハーモニーで
とても美味しかった。

ここでカマが語り出した。
「親戚がソバ屋をしててねー。
小さい頃はよく食べに行ってたんだよ」

カマは多賀ソバを食べながら、
青春の思い出にふけているようであった。

しかし、長居してる余裕もない。
昼食後は、ここから約30Km離れた
近江八幡にある長命寺温泉で、
疲れた体を癒す予定であった。

しかし、近江八幡駅前のホテルの
チェックインは6時半だ。
この時すでに3時で、
3時間後にはホテルに到着しないといけない、
計算上は、時速15kmで走れば
2時間以内に着いて、
約30分は温泉に入れるはずだ。

理系出身のオムカマはこのように計算して、
温泉へと向かっていった。

オムカマの走行を妨げるモノ

多賀大社から約20km走行すると
田畑一面を見渡せる近江盆地に到達した。

建物が周囲にないため、風の影響を
ダイレクトに受けてしまう状況であった。

横風が吹けば車体が傾き、
向かい風となれば、
風の抵抗でペダルが重くなる。
また、強風により雨が弾丸のように
肌に当たってくるのだ。

オムカマは予想外の障壁に
走行をさまたげられたのであった。

しかし、それだけではなかった。
それ以上にオムを苦しめる障壁と
途中に出会したのであった。

それは獣の匂いであった。
おそらく近江牛が育てられているのであろう。
牧場小屋から獣の匂いが風に乗って、
オムの嗅覚を刺激するのである。

牧場のスタッフさんには申し訳ないが、
都会育ちのオムには耐えられない匂いである。
すぐに牧場小屋を突破できると思ったが、
なかなか突破できない。
とても長く続いているのである。

曲がれるような分岐道もなく、
ただひたすら直線で、
向かい風も重なり、
壮絶な状況であった。

これは修行と思い、
オムはひたすら耐え忍んだのであった。
お釈迦様のように。

お釈迦様の苦行

ココでお釈迦様がどのような苦行をしていたかを
少し説明するね。

お釈迦様が悟りを開くための修行の一環として、ヨガの瞑想を行なっていたんだけど、
それは過酷な状況であった。

猛暑や極寒の中、
ひたすら瞑想を繰り返した。
断食をし、
さらには生死とは何かを問うために、
生き絶えた動物の前でも瞑想を行ったのである。

しかし、それでも悟りを開けず、
いったん苦行を中断したのである。

その後、スジャータという者から
乳粥を与えられ、心身が回復した状態で、
菩提樹の下で瞑想をしていると、
悟りを開いたと言われている。

このような歴史から、
オムは以下の2点を思い付いたのだ。
①お釈迦様の教えは生や死を問う
実践的な宗教であること
②新しい発見は苦行を経由するということ

牧場小屋を突破した後

オムカマは牧場小屋を突破し、
走行を続けた。

時間を見ると、予定より遅れてしまい、
温泉に入る余裕がなくなってしまった。

これではチェックインが遅れてしまうので、
温泉は諦め、
近江八幡駅の方へと進路を変えることとした。

近江八幡駅前のホテルにチェックインし、
この日は駅前の銭湯、いこい湯
体を休めることとした。

1日目まとめ

①多賀大社は日本の国土を作った神様が祀られている
②太閤橋の横断は慎重に
③走行を妨げるモノを修行として耐え忍んだこと