社会が求めるゲートキーパーに必要なスキルとは?

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トップ画像は自死を考える人達のモノの捉え方をイメージしたものである。人が生活をする上で必要となるものは、衣食住だけであろうか。それが満たされていても自ら死を選択するケース(自死)が社会問題となっている。いったい何が要因なのであろうか。それを紐解くためにまずは現状を把握することで、自死を考える人の気持ちを理解していこう。

自死の推移

1980年以降の推移

日本の男女の自死統計は以下の通りである⬇️図1

図1)男女における年代別推移

図1)男女における年代別推移

バブル期以降(図1_赤点線)に8000人も増したことをキッカケに、自死が『個人』の問題ではなく『社会』の問題として取り上げられるようになった。これ以降は失われれた10年といわており、数は横ばいで推移していることがわかる。

性別で見ると、男性の数が多いことがわかる(図1_赤折線)。この時代は経済的責任が男性に課せられている点と、他に相談することが男として恥ずかしいという点にも理由があると言われている。

相談者の心を閉ざす事例

コレについて、オムの実体験から語ってみるね。
過去、工場現場で働いていた時、薬品が手にかかってしまい業務終了後に手の皮が一部剥がれていることに気付いた。その事を50代前半の指導者に報告すると、こう返ってきた。

「その程度の傷で労災を申請することは恥ずかしいで」

これを聞いてオムは、この程度の傷で報告することはやめた方がいいなと心を閉ざしてしまう気持ちになった。

このエピソードは男に限らず日本人独特の感性かもしれないが、『弱音を吐く事は恥だ』という考えは現代も根強く残っているだろう。

令和の推移

次に新型コロナウィルスが蔓延した時代の統計は以下の通りである⬇️図2

図2)令和における月別の推移

図2)令和における月別の推移

初めての緊急事態宣言が発令した令和2年4月(図2_ピンク点線)では令和元年(図2_黄点線)の同月に比べて約14%減少して、しばらく横ばいであったが、緊急事態宣言が解除されて以降、増加していることがわかる。

これは自宅待機やリモートワークで学校や会社に行くことが少なくなったので、ソーシャルディスタンスが自死の緩和に関わっているとも考えられている。

そして緊急事態宣言が解除されて以降は徐々に増加傾向である。データはのせていないが、令和元年に比較して、女性の数が多くなっていると報告されている。

これはパートなどの女性の仕事が減ったことが原因の一つと考えられている。

年齢別の統計

10代後半、20代前半、20代後半の自死率が死因の全割合に対してそれぞれ約50%を示している。 ⬇️(図3_ピンク丸)40代よりも高いやん。

図3)年齢層によって死因が異なる

図3)年齢層によって死因が異なる


今後の未来を背負う若者がこのような状態であると、経済の発展に影響が出る可能性があり、この年齢層に対する対策は重要であると考えられている。

しかし、自死数を見てみると40代よりも若者の方が少ないやん!それにもかかわらず、なぜ若者の自死率が高いんやー!ここはオム目線で解説していく。

オム目線0
若者の自死率は他の死因より高いのに、その人数は40代よりも少ないのはなぜか?
➡️そもそも若者は重い病気を患うことが少ないから、自死の割合がドンドン高くなるんちゃうかな。
一方、高齢になるほど重い病気を患いやすいから、自死の割合がドンドンと少なくなるんちゃうかと思うねん。
まさしく数字のマジックだ!!

自死の要因は何か

若者だと学校の人間関係や受験の失敗、大人であれば過重労働や仕事での人間関係など報告されているが、自死の引き金は今の苦しさから助かる唯一の方法が自死だと思い込んでしまい、他の選択肢が見えなくなってしまう『視野狭窄(しやきょうさく』と言われている。

さらに、図2によれば令和2年9月から10月で数が急上昇していることがわかる。これは自分の好きな芸能人が自死で亡くなってしまったことを知り、それに後追いする形で自ら命を絶つ人が増えたと推定されている。これはマスメディアによる報道で後追い自死が増える『ウェルテル効果』と呼ばれるもので、若者に多い傾向があると言われている。

たしかに熱狂的なファンにとっては、好きな芸能人の存在は生きる糧になっていることが歴史を遡ればからわかるわ。

しかし、このウェルテル効果に対して疑念が残るので、オム目線で探っていく。

オム目線1
ウェルテル効果は自死の要因であろうか?
➡️マスメディアは関係なく、好きな芸能人が亡くなったことが要因であろう。
言い換えれば、尊敬する人、つまりその人の生き様や人生に対して共感できる人が急にいなくなったことで、生きる希望が失われていったと思うから、
マスメディアの報道自体は、生きる希望を失うことに繋がらないだろう。

戦国時代と現代の比較

さらに過去を遡ると、1868年、会津藩 白虎隊は新政府軍と激戦し、自決という終わりを遂げた。これは敵に捕まって、捕虜となってしまったら君主や先祖に申し訳ないという心があったので、最期は恥を残さずに散っていく武士としての本分を白虎隊は選んだと言われている。

彼らは十代後半で結成された組織で、若い命が亡くなった点では同じなので、相違点があるかを考えてみる。

彼らに共通するのは、大切なモノを失った状態であることだ。
人生において、生きる希望、未来を失うことは多大なダメージとなる。

しかし決定的に違うことをオム目線で探っていく。

オム目線2
白虎隊と現代の若者の自死の違いは何か?
➡️白虎隊は先祖に恥を残さないという世代を超えた思いが含まれている。
現代との違いはそこであると思う。現代は恥を残してもいいから、生き残ることに重きが置かれている。逆にこのことが、生きる意味が見出せずにモヤモヤして、虚しさを与えているのではないかと思うのである。生きる希望を別に求めればいいのだが、それが見つかるまでモヤモヤするのはわかる気がするわ。
一方、白虎隊は会津藩が滅んだからといって、別の藩に移動することは当時ありえなかったと思うわ。

このことは白虎隊のドラマの曲にも表れている⬇️

かたくなまでの一筋の道。
愚か者だと、笑いますか。
もう少し時が、ゆるやかであったなら。

引用元 堀内孝雄氏「愛しき日々」

この歌詞にあるように、幕末は国の体制が不安定な激動の時代であった。
この歌詞と歴史から、次のことが言える⬇️

オム目線3
今が特別に忙しない社会なのではなく、昔も忙しない社会であった。

現代は情報の流れが早く、そのストレスによって体調を崩す方もでていると言われているが、昔もストレスはあったので、時代によって、そのストレスの種類が違うのかなと思うわ。

どの時代の考え方が良いか悪いかではなく、時代に合った生き方を探っていくことが求められるから、現代は生きる希望が見つかるまで、今に集中するという姿勢が求められるんやろなぁ。

ゲートキーパーに求められるスキル

ゲートキーパーとは

悩める人の話を聞き必要な支援に繋げて見守る人、また自死を考える相談者に対しては、命の門番として働く人。
どちらかと言うと、危機に迫ってる場合が多いので、後者の意味が主である。

ロールプレイングをやってみた

これは実際に相談者役とゲートキーパー役に分かれて、やり取りする行為である。オンラインセミナーやったからパソコン、スマホ越しで約20人の参加者からランダムに選ばれてロールプレイングが行われた。

やってみて、ゲートキーパー役はやっぱり難しかった。相談役がネガティブな内容を話すので、それを否定せずに受け止めるのには数秒の間が必要であった。その数秒間、湧き上がってくる自分の意見がノドから出そうになる。

それを我慢して我慢して、我慢を重ねて、

そして相談者の気持ちに共感するという感じであった。
口元が力んでしまい、言葉を選んでるのがバレバレかもしれへん。
ゲートキーパーに求められるスキルは自分の意見を手放す力、言い換えれば無心になって、相談者の話を聞くマインドフルネスのスキルかなと思ったわ。
それらの詳細はマインドフルネス瞑想の分析を参照してほしい。

そして特に難しかったのは、
相談者が「もう消えてしまいたい」と発した時やった。

「そんな事言っちゃだめだよ」と否定したり、「もっと頑張ろうよ」とか励ますと相談者を苦しめてしまうから、どう返事すればいいか分からなかった。

このケースについて他の参加者からは、的確に返す言葉のストックが足りないという意見も上がっていた。
ロールプレイングをすることで、相談者の悩みに対して言葉が出てこないことが多く、実際に話を聞くことの難しさを痛感したセミナーであった。

自死の要因を知って気付いたこと

オム目線4
時代によって人生の価値観や考え方が違うが、ただ気付いたことは視野狭窄と呼ばれる心理は時代を超えて、誰にでも起こることであった。

それはトップ画像のように、目の前が何かに覆われた状態である⬇️図4

図4)無数のカケラで覆われた状態※

図4)無数のカケラで覆われた状態※

無数の透明なカケラが目の前を覆っており、先が見通せない状態である。

しかし、これを遠くから見てみるとどうであろうか⬇️図5

図5)見えてきた姿※

図5)見えてきた姿※

するとハッキリと全体が見渡せて、先ほどの無数のカケラはハートの一部やったことがわかる。

一つ一つのカケラが光を反射させて、輝きを放っているように見える。この状態になってやっと生きる希望が湧いてくるんちゃうかな。

次にナナメから見てみるとどうやろ⬇️図6

図6)違った角度から見てみよう※

図6)違った角度から見てみよう※

すると奥行きと厚みがあることが分かり、よりモノの姿を把握することができる。

このように何かのキッカケで視野が広がれば、視野狭窄に陥っている人達の瞳の輝きを取り戻し、ハートを熱くさせれると思うねん。

おそらく、この視野を広げるサポートをすることがゲートキーパーの役目なのかもしれないね。

※画像(図4〜6)は『フコクアトリウム空間プロデュース2021』において京都芸術大学の学生が手掛けた作品である。作品の考察はオム独自の捉え方であり、作者の思いとは関係なし。

まとめ

①ゲートキーパーは命の門番である
②時代は変わっても自死の要因となる視野狭窄は誰にでも起こるだろう
③ゲートキーパーは視野狭窄から解放するサポート役であろう
④ゲートキーパーに求められるスキルは無心にただひたすら共感する禅やマインドフルネスであろう