西国三十三所の旅2日目(JR近江八幡駅〜JR長浜駅)

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2日目のスケジュール

1日目の遅れを取り戻すため、
オムカマは7時前にホテルを出発した。
天気の方は曇り空で、雨は降っていないので、
愛車が走行しやすい状況であった。

2日目のスケジュールは以下の通りである。

JR近江八幡駅→信長の館(6.3km)→ 桑實寺(麓から石段580段)→観音寺城跡(山道 約30分徒歩)→観音正寺(山道 約15分徒歩)→長命寺(約12km)→JR長浜駅(約38km)

観音正寺とは?

観音正寺は天台宗系 単立のお寺で
西国三十三所の三十二番札所である。

標高432mの繖山(きぬがさやま)の南側、
標高約370mに位置するため、
到達するのに相当な体力が必要となる。

歴史をさかのぼると、鎌倉・室町時代には、
近江国守護職 佐々木六角氏らの
庇護(ひご)を受けて、栄えたと言われている。

近くには観音寺城の跡があり、
そこは佐々木六角氏の居城としていたようだ。

これらから、
お寺は戦国大名との繋がりが強かったことが
伺えるよね。

では戦国大名が仏を拝む理由として、
どのような願いがあるのだろうか?

一つとして戦の勝利への祈願がある。

戦国時代は、天下統一に向けて、
多くの武将が争った過去がある。
戦場などでは携帯できるように
小型の仏像を所持したと言われているんだ。
これを念持仏(ねんじぶつ)と言うから覚えておいてね⬇️図1

念持仏

図1)念持仏

図1の仏像は手の形が阿弥陀印を組んでいるので、
家康公は阿弥陀如来を信仰していることが見受けられる。

さて、観音正寺の本尊の仏像は
千手千眼観音菩薩である。

その歴史について、人魚救済伝説によれば、
近江国を遍歴していた聖徳太子が、
湖水から浮かび出てきた人魚と
出会ったことから始まる。

人魚は「私は前世漁師であり、殺生を業としていたため、このような姿になりました。繖山にお寺を建て、どうか私を成仏させてください」と懇願した。聖徳太子はその願いを聞き入れみずから千手観音の像を刻み、堂塔を建立したと言われている。

お手の数は無数を意味する千本で、
あらゆる手法を使って人々を救うことを
願っている観音様の気持ちを示しているのだ。

観音正寺までの道のり

信長の館までは自転車走行し、
そこから約400mほど歩いて、
繖山(きぬがさやま)の麓に着いたが、
ココから約580段の石段
登ることとなった⬇️図2

580石段の一部

図2)580石段の一部

途中、何やら門が見えてきたようだ。
そこは桑實寺(くわのみでら)の山門であった⬇️図3

桑實寺

図3)桑實寺_山門

通過すると同時にピッと音が鳴ったので、
訪問者の知らせを
どこかで確認しているのかもしれない。
まだ石段が続いているので、
ひたすら桑實寺の事務所を目指し、
やっと約580段を登り切ったのであった。

桑実寺_事務所に到着

桑実寺の事務所の方に
観音寺城跡の場所を確認すると、
事務所を基準に、
右側の道を歩いていくようだ。

約580段の石段を登りきったが、
ここから山道を歩くこととなる。
少し休憩をして、再出発を試みた。

しかしこの先、
黒いモノが待ち受けていることを知らずに
オムカマは山道へと入って行ったのであった。

観音寺城跡までは
あまり整備が行き届いていないのか、
草木がビシバシと体に当たるほどの
山道であった。

途中、
先頭のカマを見てみると、
あることが気になり始めた。
何かがウヨウヨ目の前を
飛び回っているのである。

それは黒いモノ、、、
つまり「蚊」である。
5匹くらいがカマの頭を
ウヨウヨ飛び回っているのだ。

しばらくすると、3匹くらいが、
カマの頭にピタッと引っ付いて、
刺す場所はないかを確認しているようであった。

カマは布を頭に巻き付けていたので、
引っ付いている蚊が
オムから見えやすくなっていた。

オムの方は
分厚い菅笠(すげがさ)をかぶっていたので、
蚊に刺される心配はなかったが、
カマの頭に引っ付いてる蚊を見るたびに、
オムは大丈夫かと心配でヒヤヒヤした。

カマは「平気平気」と言って、
あまり気にはしていないようであった。

これには理由があり、
カマの布は首の後ろをおおい隠すような
デザインであった。
蚊が集まりやすい部位を
布で隠す工夫をしていると後から聞いた。

オムは蚊を警戒しながら登り、
やっと城跡に到着したのであった。

観音寺城跡に到着

観音寺城_跡

図4)観音寺城_跡


桑實寺から30分以上をかけて、
ようやくたどり着いた⬆️図4
観音寺城跡は石垣のみが残っている状態であった。
歴史上、応仁の乱で戦の場となっていたので、
過去は壮絶な争いが繰り返されていた場所である。

そこで記念写真を撮ろうとしたが、
またオムの妨害をしてくるモノがいた。

実はカメラを構えて動きを止めると、
が引っ付いてくるのである。
オムは蚊との攻防戦をしていた。

何とかオムはシャッターを切ったが、
蚊に一発刺されてしまった。

オムと蚊との戦いは
相打ちに終わったのであった。

観音正寺に到着

山道をひたすら登り続けて、
約15分後に観音正寺に到着した。

標高約370mから見渡す景色を
ご覧下さい⬇️図5

標高約370m

図5)標高約370m

そこからすぐ正面を見てみると、
両側に仁王像が待ち構えており、
オムはその迫力にビビってしまった⬇️図6

観音正寺_仁王像

図6) 観音正寺_仁王像

仁王像はお寺の門番みたいな役割があるので、
怪しい者ではないことを、
南無観世音菩薩と記された衣で示し、
通してもらった。

南無とは「帰依する」の意味で、
簡単に言うと、観音様を「信仰しています」
ということである。

このことが伝われば、
仁王様もきっと心良く通してくれると思うんだ。

さらに奥へと進み、
本堂へと向かった。

観音正寺の本堂

本堂に入ると、千手千眼観音様の大きなお顔が
見えた⬇️図7
(オム顔の4倍以上の面積があるのではなかろうか)

千手千眼観音菩薩像_観音正寺パンフレットから転載

図7)千手千眼観音菩薩像_観音正寺パンフレットから転載

この顔の大きさなので、
頭から足までとなると
相当な大きさである。

大きさに目がいってしまうが、重要なことは、
参拝者の目線とほぼ同じ高さに
観音様の顔が設置されているであることだ。

これは、
「仏様の方が偉いのではなく、
私たち一人ひとりも仏になることができる」
という天台宗の教えがあるので、
このことを表しているとオムは思うのだ。

祀られている観音様は秘仏であるが、
現在、開創1300年記念事業に伴い、
一般公開されているのだ。

オムは線香を灯し、納め札を納め、
般若心経を唱えた。

その後、受付に向かっていると、
お守りや線香などが置いてあることに
気付いた。
そこにはオムの好奇心をくすぐるアイテムが置いてあった⬇️図

図)お香

図)お香


それは白檀というお香である。

なんと!コルク式のお香立てが付いてあり、
わざわざお香立てを買う必要がないではないか。

こちらを迷わず手にして、
受付に着いた。

受付では御朱印を頂いた⬇️図8

御朱印(観音正寺)

図8)御朱印(観音正寺)

御朱印とは、
お寺に写経を納めると与えられる印である。
今では、写経の代わりに
お経を唱えることでも、
功徳を積むことができるとされているので、
御朱印はその証としていただく、
大変ありがたいものなのだ。

今回は御朱印を頂くと同時に、
お坊さんからある札も頂いた⬇️図9

コロナ除けのお札

図9)コロナ除けのお札

それは元三大使(がんざんたいし)と呼ばれる
お坊さんが描かれたお札で、
コロナ除けになりますとのことであった。
オムは複数枚いただき、本堂を後にした。

文芸の郷でスイーツタイム

参拝を終えたので、山を降りることにした。
下りは楽で、スイスイと降りることができた。

途中、オムが足元を滑らせて、
転ぶんじゃないかと
カマは心配していたようだが、
観音様にお参りをして、
気分がスッキリしていたオムは、
そんな事を気にせず麓まで降りていった。

きつい山道であったので、
オムカマの体力はだいぶ削られていた。

そこで、
信長の館の近くにあるレストラン(文芸の郷)
で体を休ませることにした。

メニューには、
冷たく甘〜いソフトクリームや、
その隣に「白玉ぜんざい」も記されていた。

ぜんざいの方が
大豆を原料としているので、
タンパク質も摂取できるやんと思った。
疲れた体にぜんざいは
チョー美味しかったのだ⬇️図10

白玉ぜんざい

図10)白玉ぜんざい

カマの方はソフトクリームをペロペロしながら、
濃厚なミルクの風味を味わっていた。
そういえば、近江八幡には牧場もあるので、
搾りたての新鮮なミルクが手に入る地域だ。

それがソフトクリームにも使われていれば、
さらに真っ白いフレッシュな気持ちで、
次の長命寺へ参拝できるのではなかろうか。

そのお寺までは文芸の郷から約12kmある。
ミルクと大豆の栄養分を
たっぷ〜りと摂取したオムカマは、
長命寺へと自転車を走らせたのであった。

途中にあった新開の森

長命寺に行く途中、
滋賀県で有名な心霊スポットがある。
それが、新開の森(しがいのもり)である。

ココは織田信長が処刑場としていたと
言い伝えられているので、
何やら成仏できずに漂っている霊が
いるのであろうか。

オムは
仏さんが霊から守ってくれるだろうという
ことを願っていた。

実はオムは霊がいると信じている派である。
と言うのも、
現実世界だけを考えるより、
もっと広い視野で物事を見る方が
新しい発見があると思うからだ。

オムとカマは別々に森の中へと入っていった。
時間はお昼すぎだが、
森の中は薄暗い感じであった。

一分くらい歩くと、石が見えてきた。
そこには〇〇天満宮という文字が刻まれていた。

オム「あれ?神様がいる感じだ」

これはお祓いとして設けられているのか、
わからないが、これ以上進むことに対して、
怖気付いてしまい、森を後にしたのであった。

オムカマは再び長命寺を目指して、
自転車を走らせたのであった。

長命寺とは?

長命寺は天台宗系 単立のお寺で、
千手観音菩薩を本尊とした
西国三十三所第31番札所である。

長命寺山(333m)
標高約250mに位置するので、
山の麓から808段の石段を登る必要がある。

「寿命長遠」の御利益が
あるとされているようだが、
長い石段を登らないといけないので、
体力を消耗して、
寿命が縮まるのではないかと心配した。

歴史をさかのぼると、
近江守護 佐々木定綱(さだつな)が
戦死した父の菩提を弔うために、
平安時代後期に建立したと言われている。

ココから戦国大名との繋がりによって、
お寺が発展していったことが伺えるね。

長命寺までの道のり

長命寺山の麓の駐輪場に自転車を止めて、
そこから808段も続く石段がすぐそばにあった⬇️図11

長命寺へ続く石段

図11)長命寺へ続く808石段

登っている途中、カマが語り始めた。
「ココは繖山に比べて、石段の奥行きが短いなぁ」

カマが言うには、石段が短いと登りにくく、
こけやすくなるらしい。

オムは全然そのことに気付かず、
ただひたすら登ることに集中した。

長命寺に到着

やっと長命寺の山門に到達した⬇️図12

長命寺_山門

図12)長命寺_山門

ココも標高が高いので、
壮大な景色を眺められるスポットだ。

ただし、観音正寺と違う点は、
琵琶湖も見下ろせるトコである!

それでは山と湖、そしてお寺が
調和した景色をお楽しみ下さい⬇️図13

長命寺から見下ろす景色

図13)長命寺から見下ろす景色

そのまま、境内を歩くと
本堂が見えてきた⬇️図14

長命寺_本堂

図14)長命寺_本堂(近江八幡市長命寺観光_旅行見所ナビから転載)

本堂に入って、キョロキョロしていると、
千手十一面聖観世音菩薩様が祀られていた。

こちらのご本尊は、
観音正寺のご本尊よりもだいぶ小型なので、
感動は少なかった。

しかし、
どのお寺も高い徳を積まれた仏様なので、
見た目で判断をしてしまう自分に対して、
つくづく情けなく感じてしまった。
そのような愚かな心は
巡礼を続けていくうちに、
薄れていくかもしれない。

そのような思いを巡らせながら、
受付で御朱印を頂いた⬇️図15

御朱印(長命寺)

図15)御朱印(長命寺)

本堂の隣には、赤い通路の建物があった。
そこは三仏堂で、父親の佐々木義秀の菩提を
弔うために建立したと言われている。

中にはお釈迦様-阿弥陀様-薬師様
祀られている⬇️図16

長命寺_三仏堂

図16)長命寺_三仏堂

しばらく境内をブラブラしていると、
鐘楼(しょうろう)という、
梵鐘(ぼんしょう)が吊るされた建物が見えてきた⬇️図17

中に梵鐘が吊るされている

図17)中に梵鐘が吊るされている

オムカマは鐘を突きたいという気持ちで
心がいっぱいとなり、鐘楼に入った。

鐘を突いてみると、
ボォ〜ン〜と建物内を響き渡り、
しだいに小さくなっていく。
その音のかけらに耳を澄ませると、
心がリフレッシュし、
とても気持ちよくなれた。

また新しい一歩を踏み出して、
旅を進めようと、
琵琶湖を再び眺めながら、
下山したのであった。

JR長浜駅までの道のり

長命寺から長浜駅前までは
約38kmである。

オムカマはひたすら走り続けた。
彦根付近からは湖岸沿いを走り、
途中、鉛筆の形状をした建物が見えた。
滋賀県立大学である。

ココを横切りながら走り続けて、
18時頃であろうか、
夕日が美しく湖を照らしていた。
風が強かったので、波が立っていたが、
夕日がその波を穏やかにするように感じた⬇️図18

夕日と湖

図18)夕日と湖

この景色を隣に、
オムの心の波も穏やかになるように願って、
夕日に照らされながら、走り続けたのであった。

そして、ようやく長浜駅前になり、
ホテルにチェックインした。

2日目のまとめ

①お寺の発展は戦国大名との繋がりがあった
②人間の行いを妨げることや、
人間を感動させる力を持つ自然の偉大さ
③信仰心は石段を登り切るパワーとなる