西国三十三所の旅 3日目(竹生島 宝厳寺)

カルチャー

3日目 スケジュール

3日目は琵琶湖に浮かぶ聖地、宝厳寺(ほうごんじ)への参拝だ!
ココに行くにはフェリーで湖を渡り、
竹生島(ちくぶしま)へ向かうこととなる。

詳細な道のりは以下の通りだ。
長浜駅前ホテル→長浜港(約1km)→竹生島(フェリー30分)

この日の天気は晴れ渡っていた☀️
お天道様の恵みを全身に浴びながら
オムカマは自転車を走らせたのであった⬇️図1

図1)青い空と湖

長浜港 到着

長浜港には専用駐輪場はなかったが、
警備員さんに聞くと、
石壁に立てかけて良いとのことであった。

輪行はできないか聞いてみると、
「空いてたら可能だが、
本日はお客さんが多いから無理ですね」
と言って断られてしまった。

それは仕方ないと考え、
フェリーチケット売り場に行き、
往復3130円のチケットを買って、
フェリーを待った。

しばらくすると、
外国の観光客が店員さんに
落とし物を尋ねていた。

帽子を探しているようである。
店員さんがキョロキョロと見渡すと、
その外人の首にかけられていたのだ。
おそらく自分では気付かなかったのであろう。

港なだけに
「灯台もと暗らし」であった(笑

数分後、
フェリーが到着したので、
オムカマは乗り込んだ。

フェリーの中

フェリーは二階建てで、
館内に大型テレビが付けられていた。
滋賀県の歴史を学ぶような内容で、
竹生島の詳細が解説されていた。

オムはその内容に耳を傾けながら、
窓の外を眺めていた。

30分ほど経ち、
竹生島に到着したのであった⬇️図2

図2)フェリーから見える竹生島

竹生島とは?

図2)竹生島イラスト


竹生島は周囲2キロほどの島で、
名前の由来は、
神を斎く(いつく)島→ いつくしま
→つくぶすま→ちくぶしま(竹生島)
という流れがあるようだ。

ここから、
古くから、この島は神聖化さていたことが
感じられるよね。

歴史を見てみると、
724年、天照大神から聖武天皇に
お告げがあったと言われている。

お告げ「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。
すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう。」
という内容であった。

そこで、聖武天皇はその当時の僧、行基に
寺院の建立を命じたと言われている。

弁才天(べんさいてん)は、
もともとインドのサラスヴァティ―という
川の神が原型で、
それが仏教に組み入れられて
「弁才天」として日本に伝わったと
言われている。

弁天堂に祀られている弁才天は、
日本三大弁才天(他、江の島と厳島)の一つで、大変ありがたい神様なのだ。

宝厳寺の弁天堂に到着

港から石段を登っていくと、
宝厳寺の弁天堂に到着した⬇️図3

図3)弁天堂


そのお堂に入ると、
両隣に弁才天様が座っておられた⬇️図4

図4)弁才天(トラベルjpから転載)https://www.travel.co.jp/guide/article/45148/


よーく見ると、手がいっぱいあるし、
斧や剣を装備してることがわかると思うんだ。
実は様々な弁才天様がいて、
こちらは戦闘スタイルなのだ。

冒頭で述べたように、
インドの川の神様が、
仏教に吸収されたことで、
仏教の世界を護ることが主になったため、
武器を持つようになったと思うんだ。

細かいようだけど、
頭の上には鳥居と顔が乗っかってるので、
とてもユニークな弁才天様だね。

さらにお堂の真ん中の奥に
大弁才天様が祀られているのだが、
薄暗くてハッキリとは見えない状態であった。

かと言って残念ではなく、
あえて見えにくい方が神秘的に感じるのだ。

弁才天様をイメージしながら、
般若心経を唱えて、功徳を得ることにした。

カマの方を見ると、オムの倍以上に
お唱えをしているようである。

オムはその間、家族から頼まれていた
ボケ封じのお守りを売店で探していたが、
ボケ封じのお箸が置いてあった。

なるほど、お箸を使うことで、
手の運動になり、ボケ封じる効果が
あるのであろうか。

そう考えている最中、
カマがお唱えを終えて、
オムの方へ近寄ってきた。

カマは不思議そうにこう言った↓
「オムはお経本見ずにお唱えしてるの?」
オム「うん、覚えてるから」
カマ「普通、お唱えする時はお経本見てするよ。
一冊買ったら?」

オムは般若心経は覚えているから
必要はなかったが、
お経本を持つという姿勢に対して、
功徳を積めると考えて、
購入することにした⬇️図5

図5)お経本

その後、受付の方へ行き、
弁才天様の御朱印をいただいた⬇️図6

図6)御朱印(弁才天)

お参りをした後、
観音堂へと向かった。

宝厳寺の観音堂に到着

観音堂には千手観音様が祀られていた。
こちらに祀られているのが、
西国三十三所 第三十番のご本尊である。

唐門(からもん)という
立派な作りの門を通ると、
拝見することができる⬇️図7

図7)唐門(琵琶湖汽船サイトから転載)https://www.biwakokisen.co.jp/tourist_info/tourist_area_cat/chikubushima/

特徴としては、
天皇の使いしか通れなかった門で、
大変格式の高い門なのだ。

オムカマは
天皇の使いになったかのような
想像をしながら、唐門をとおり、
ご本尊を拝みにいった。

その後、受付で御朱印をいただいた⬇️図8

図8)千手観音菩薩


このように宝厳寺は
弁才天様と観音様、そして唐門という
大変ご利益のあるパワースポットなのだ。

龍神様との遭遇

しばらく廊下を渡っていくと、
鳥居を発見し、龍神様が祀られていた⬇️図9

図9)鳥居(琵琶湖汽船サイトから転載)https://www.biwakokisen.co.jp/tourist_info/tourist_area_cat/chikubushima/


そこではかわら投げという
素焼きの皿に願い事を書いて、
それを投げることで、
願いを神仏に届けるという
行いがある。

オムカマはそれぞれ願いを書き、
鳥居に向かってかわら投げをした。

オムが投げた皿は鳥居に直撃し、
皿が粉砕したのであった。

粉砕は縁起が悪いと思われるかもしれないが、
鳥居に「当たる」つまり、
当たったという意味では、
むしろ縁起が良いと解釈した。

強引な解釈だが、
鳥居に当たる方が確率的に珍しいのだ。

オムはそう前向きにとらえて、
一歩をふみだし、港の方へ向かった。

売店で腹ごしらえ

次のフェリーが来るまで、
一時間近くあるようだ。
オムカマは港付近の売店で
軽く食事をすることにした。

オムは近江牛肉マンをモグモグしながら、
これまでの神仏との出会いを
振り返った。

1日目の多賀大社、
2日目の千手観音様、
3日目の龍神様、弁才天様、仏様といった
ありがたい存在を拝むことができた。

この中で気付いたことがあり、
どのお寺にも千手観音様が祀られていた。
このことは地域性やその当時の歴史的な
背景が関わっているのでろうか?

そのようなことをモヤモヤ考えていると、
フェリーがやってきた。
オムカマは竹生島を後にして、
長浜港へ向かった。

長浜港からJR米原駅までは
愛車でひたすら走った。
JR米原駅でカマとお別れをして、
電車で帰宅した。

旅で培ったこと

最後にスポーツバイクで
西国三十三所の旅をすることで
感じたことを3点まとめてみる。

①自由に移動できること
交通公共機関を使用すると、
ルートや時間に制限を受けてしまう。
その点、自転車は自由に移動ができて、
誰かの縛りがない。

決まりきった道を進むより、
自分が進みたい道を選択する方が、
大勢の人が経験していないことを
経験できて、ワクワクできる。

これは人生にも当てはまり、
決まりきった人生よりも、
寄り道しながら、
自由に進んで行く方が
人生ワクワクするのではなかろうか?

②西国三十三所巡りに対して①を当てはめると、札所を順番に回ることに
こだわる必要はないと思うのである。

回る順番よりも、
巡礼を続けることで、仏様への信仰心
育まれば良いと思うのである。

③信仰心を育もう
西国三十三所巡りを通じて、
その時代背景を知ることもできた。
歴史を知ることで、
偉大な人物も神仏を信仰していたことがわかったのだ。

今は経済社会で、
稼げることがステータスのように
思われるが、果たしていいのであろうか?

それを優先するあまり、
神仏に対する重要度が
薄れているのではないだろうか?

これは問い直す必要があるかもしれない。

以上、オムが今回の旅で培ったことである。

ここに訪問してくれた君も
ぜひ、お寺巡りをやってみてね。

それでは最後にこの言葉で締めくくるね。

西国三十三所とは関係ないんだけど、
あるお坊さんがこう言っていた⬇️

『現在、日本人が信仰している宗教は、、、
お金教であると